
はじめに

「この子の未来に、光はあるのだろうか」
「何をすればいいのかわからない」
「そばにいてあげることが正解なの?」
そんなふうに、悩んでいた日々がありました。
でも今なら、あの頃の自分にこう伝えたい。
「まずは落ち着いて。周りと手を取り合って、ゆっくりこの子を見つめてあげて」
ここでは、私自身が経験したことや反省も含めて、
「診断後に何をすべきか」をテーマにまとめました。
保育園への入所と、仕事への復帰
診断を受けた当時、医師から
「子ども同士の関わりがこの子にはとても大切です」
と助言をいただきました。
それをきっかけに、保育園入所と仕事復帰を決意。
当時、夫は仕事が多忙だったため、私の実家で子育てをすることに。
3歳になったばかりの息子は発達がゆっくりで心配でしたが、
保育園の先生は「大丈夫ですよ」と温かく受け入れてくださいました。
正社員として保育の仕事に復帰すると、
保護者の皆さんの「子どもへの心配」に心から共感できるようになりました。
働けること、誰かに預けられること、社会とつながれること…。
すべてが感謝でした。
祖父母の「大人が3人いても仕方ないでしょ(笑)」という言葉にも救われました。
今思えば、私の育児ノイローゼを心配してくれたのだと思います。
小学校入学と、診断
田舎の小学校で特別支援学級がない環境。
「普通学級で皆で見ていきましょう」と言われましたが、
頑張っても進まない勉強に、違和感を抱いていました。
NICU時代からお世話になっていた病院へ再度相談に行き、
そこで発達検査の結果、ついに
「軽度知的障害」と診断されました。
息子の前でしたが、涙が止まりませんでした。
「やっぱりそうだったんだ…」という安堵と、
「この先、どうしたらいいの?」という不安が入り混じっていました。

次にすべきことは?

私が行ったのは、以下の3つです。
① 息子の“得意”と“苦手”を見つける
できること:
- 文字や形の認識
- 人が集まる場が好き
- 話すことが好き
- 乗り物が好き
困っていること:
- 抽象的な指示が苦手
- 数量や時間感覚が曖昧
- 体力・体幹が弱い
- トイレトレーニングが進まない
こうして少しずつ、「この子らしさ」が見えてきました。
② 児童相談所へ相談
1年生の頃、児童相談所へ相談に行きました。
当初は「境界域(グレーゾーン)」とのことで様子見。
でも3年生になると差が明確になり、
再診断により**「療育手帳(C判定)」**をいただきました。
母親として「困っていること・手助けが必要なこと」を整理して
伝えることが大切だと痛感しました。
「母の伝える力」も、支援につながるカギになります。
③ 療育手帳の取得
当初、家族からは「レッテルを貼られるのでは?」と不安の声もありました。
でも、プライバシー配慮もされ、取得したことで
支援・教育・就労の幅が大きく広がりました。
その後、息子は特別支援高等学校へ進学し、
障害者雇用での就職にもつながる“切り札”となりました。
小さな成功体験の積み重ねが「生きる力」に

療育手帳を取得したあと、
公園やプール、図書館、音楽ドライブなど、
あちこちへ“散歩気分”でお出かけするようになりました。
見た目にはわかりにくいタイプの息子。
「やる気がない子」と見なされやすく、説明に苦労もしました。そのぶん、この公的な証明が息子のサポートの幅を広げてくれました。
公表しなくてもいい。
でも、
「私はこの子の一番の理解者だ!」
という自信を持って伝えていけば大丈夫です。
忘れないでほしいこと
- 家族で過ごす時間の中に、生きる力を育てるヒントがあります。
- 全部をできなくてもいい。100回練習して身につけることも大切です。
- 小さな日記や記録は、のちの各種申請にも役立ちました。
最後に
「もう無理かもしれない…」
そんな思いが何度も押し寄せたことがあります。
でも、息子は今、社会に出て働いています。
少しずつ、ゆっくりでも道は続いていました。
今、あなたが見ている“困難”は、未来への伏線かもしれません。
何より、ママが笑顔でいること。
それが一番の「最初にすべきこと」だったと、今なら思います。
🌼まとめ
- 軽度知的障害の診断を受けたら、子どもの特性の把握から
- 相談機関(児童相談所・医療・学校)をフル活用
- 療育手帳は将来の選択肢を広げるツール
- 小さな日記や記録が後の申請や支援の助けになる
- 「お母さんが安心すること」が、子どもにとっての最大の安心です
もし今、同じように悩んでいるお母さんがいらっしゃったら、
少しでも心が軽くなるきっかけになれたら幸いです🌈

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