軽度知的障害の息子とのこれまでをブログに。今、都内で働いています。[特例子会社・障害者雇用]

子育て・発達

はじめに

現在、息子は特例子会社に障害者雇用という枠で都内に勤務しています。

これまで「これでよかったのかな」と悩むこともありましたが、今は、社会に出て働く姿を見るたびに「よくここまで来たね」と心から思います。

でも、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
診断された日、真っ先に泣いたのは私でした。
今なら、あの頃の自分に「そんなに心配しなくて大丈夫だよ」と伝えてあげたいです。

生まれた日とNICUでの始まり

23年前、息子が生まれた日のことは今でも鮮明に覚えています。
「オギャー」と泣くと思っていた息子は、静かに私を見ていました。その目が今でも忘れられません。

その後、「体温が上がらない」と医療スタッフの方から説明され、NICUに緊急搬送されることに。
「お願いします…」と、ただ願うことしかできませんでした。

その後は毎日搾乳してNICUへ届ける日々。
私自身も先に退院し、初めてNICUを訪れた日、息子は目を閉じたまま笑ってくれました。
看護師さんも驚くほどの表情に、私は「この子が私をママにしてくれたんだ」と感じました。

🌱 生理的微笑について

新生児の微笑みは「生理的微笑(新生児微笑)」と呼ばれ、反射的なものだそうです。
でも、私にとってはかけがえのない「天使のほほえみ」でした。

1歳半、立ち上がった日

数ヶ月後に退院し、1歳半でふるえながら立ち上がった息子の姿は、今でも目に焼き付いています。
担当医から「この子が立っただけでも、すごいことです」と言われ、驚きとともに涙がこぼれました。

後から夫に聞くと、当時の主治医からの説明は詳しく受けていたそうですが、「今の私には話せなかった」と。
確かに、あの頃の私は前を向けていなかったように思います。

孤独な乳児育児

私は専業主婦で時間があったこともあり、日中は息子と2人きり。
元・幼稚園教諭だったこともあり、「この子を自分の手でしっかり育てたい」と強く思っていました。

しかし現実は、アレルギー・ミルクの嘔吐・体調不良など、想像とはまったく違う子育て。
細気管支炎で入院することもあり、常に病院との往復でした。

相談先を探して

不安を抱えながら、できる限りのことをしていました。
当時は今ほどネットが発達しておらず、情報源は育児雑誌や周囲の友人たちだけ。
でも、友達の子育てがまぶしく見え、自分を比べては落ち込む日々でした。

この頃はまだ軽度知的障害とはわからず、ただ「様子を見ましょう…」という時期で、不安ばかりが大きくなるばかりでした。

家族の支え

  • 両親:心配をかけたくなかったけど、預かってくれるだけで心が救われました。
  • 夫:当時は仕事が忙しく、頼ることに遠慮がありました。

地域の施設・習い事

  • 支援センターにはよく通いましたが、同じようなお子さんと出会うことは少なく、孤独感を感じることも。
  • ベビースイミングには早い段階で通い始めました。体幹の弱さにも良い刺激になり、本人も楽しんでいました。

🌈 まとめ:過去の自分に伝えたいこと

息子は今、都内で電車通勤をして、経済的自立へ向けて毎日8時間働いています。
ここまで来られたのは、本当にたくさんの偶然と支えがあったから。

行政の支援制度にも助けられ、今も制度を活用しながら前に進んでいます。

あの頃の私に言いたい。
「そんなに心配しなくて大丈夫。人生は案外悪くないよ。ゆっくりで大丈夫。」

これから、息子とのこれまでを少しずつ振り返りながら、私の経験が誰かの役に立てばと思っています。
同じような不安や孤独を感じている方に、少しでも希望をお届けできたら幸いです。

この先も、楽しく・心まるく過ごしていけますように🎶

コメント

タイトルとURLをコピーしました