
はじめに

こんにちは、まるです。
これまでの記事では、息子の出産や小学校入学、そして「軽度知的障害」と診断されるまでの経緯をお伝えしてきました。
今回は、中学校進学という大きな転機で感じた生活の難しさや、親子で乗り越えてきた孤独や困難についてお話ししたいと思います。
同じように悩まれている方のヒントになれば嬉しいです。
中学という“新たな壁”
息子は田舎の小学校で温かい雰囲気の中、少人数クラスで過ごしていました。
しかし、中学進学をきっかけに世界が大きく変わります。
親の目の届かない場所で過ごす時間が増え、普通級での生活に息子自身が大きな負荷を感じていたように思います。
■ 支援学級という選択肢
入学前に学校側と話し合いの場を設けたものの、学校のスタンスは「今のままで大丈夫では?」というものでした。
何より、息子自身が「支援学級には行きたくない」と強く拒否。
結果として、普通学級での生活を選ぶことになります。
通学・制服のハードル
中学校生活には、日常生活の小さな困難もたくさんありました。
- 通学:自転車通学中に思わぬ事故もありました。幸い大きなけがはなく、本当にホッとしました。
- 制服:ワイシャツのボタンが留められない、詰襟を締められない、靴紐が結べない…一つひとつがハードルに。
- 対応策:療育の先生に相談しながら、ボタンホールを広げたり、結ばなくていい靴紐に変更したり、調整しやすいベルトを使用したりしました。
医師・療育との出会いで変わった価値観

小学校時代から数回の引っ越しと医師の変更を経て、中学進学直前にようやく今の主治医(専門外来)と出会うことができました。
さらに、連携されているリハビリテーション(療育)の作業療法士(OT)ともつながりができ、生活の困難への細やかなアドバイスをいただけるように。これが非常に大きな転機でした。
💡「困っていることは誰にでもある。それをどう補って豊かに暮らすか一緒に考えていきましょう」と言ってくださった言葉に、私は何度も救われました。
私の中にあった育児ノイローゼや障害に対する見方も、ここで大きく変わっていきました。
思春期と「自己認識」の壁
中学に進むにつれ、心身の差が顕著になる時期。
これまで仲良くしてくれていた友人たちも、少しずつ違いに気づくように。
息子自身も、自分が“みんなと違う”ことに気づき始め、辛さを抱えていたようです。
勉強面での苦しさ
努力はしているのに、思うように結果が出ない。
「どうして自分だけ…」という感情を抱えていたように思います。
親に心配をかけたくない気持ちも芽生え、本人なりに隠そうとする姿も見られました。
家庭でできたサポートの工夫
● 否定せず、逃げ道を作る
どんな時も「家族はあなたの味方だよ」と伝え続けました。
正直、親としても心が折れそうになることは何度もありました。
● スケジュールの“見える化”
中学からは連絡帳もなくなり、自分で予定を管理する必要が出てきます。
息子は段取りが苦手だったため、予定は紙やホワイトボードに書き出して壁に貼り、見えるようにしました。
● お金の練習
この頃は1,000円以上の計算が難しく、出かける練習も兼ねて買い物を通じて金銭感覚を育てました。
社会人になった今は、支払いの手軽さを優先してQRコード決済にほぼ移行しましたが、まず直接手にして感覚をつかむようにしました。
● 性教育について
父親にお願いしましたが、親にとっても悩むテーマです。
公共の場ではマナーを守ることなど、繰り返し伝えました。
小学校から継続した習い事や学習

- スイミング:ベビースイミングから継続。体力づくりにもなり、個人競技という点も息子には合っていたようです。
- 公文式:個別対応が息子に合っていました。計算力も繰り返しが効果的でした。数の概念は繰り返して習得を目指しました。
- 進研ゼミ:楽しみながら学べる教材が幼少期にはピッタリ。親子で一緒に取り組むことができるところが好きでした。
- 幼い頃から習慣化し、日々のスケジュールが明確化している方が息子も過ごしやすいようでした。
中学進学を振り返って
振り返ると、中学校生活で普通学級を選んだことは、息子にとってかなりハードルが高かったと思います。
今になって思えば、あのとき「支援学級」を選択していたら、もっと穏やかな中学生活を送れたかもしれません。
でも――
中学校生活を通じて、私たち親子は次のステップに向けて準備を進めることができました。
次回予告:中学卒業から“進路選択”へ
次回は、中学校卒業後の進路選びについてお話しします。
- 支援学校への選択は?
- 高校進学の選択肢は?
- 将来を見据えた親の葛藤と決断⁉︎
など、私たち家族が直面したリアルな課題と向き合い方をお届けします。
ぜひ、次回もお読みいただけたら嬉しいです。

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